「山笑う」春本番です。最近はもう暑いか寒いかのどちらかなことが多く、「ちょうどいい気候」の時期が本当に短くなりました。高山にいるライチョウの話を読んで驚いたので、ちょっとご紹介します。
夏は茶色っぽいまだら模様、冬毛は雪との保護色で真っ白になるのはおなじみでしょう。本物は、昔、一度だけ見かけました。ライチョウは高山植物を食べるそうで、でも植物の方も生き延びたい→餌にされないために毒をもって身を守る。ライチョウの方は、植物を食べるならば、その毒を無害化できないと命にかかわる。ここで酵素の出番となるのだとか。
母鳥から餌を貰うことによって、雛は母体の腸内細菌を貰う→するとその成分から雛の体内で酵素が生きて働き、植物を食べても平気になる、とのこと。まあ何とうまくできていることかと、感心します。
人間の赤ちゃんにも似たような仕組みは少なからずあると思います。だからあまり「消毒だ、抗菌だ」と、やりすぎるのは免疫系に影響しかねません。「赤ちゃんはスリッパの裏をなめても平気」という本もありました。酵素、微生物、そういう「小さきもの」が実は大きな働きをしているのですね。
翻って我が家の雑草。外から土を運び入れてから生えるようになったという「チガヤ」。これの生命力たるや、ドクダミといい勝負です。根っこがほんのちょっとでも残っていたら、あれよあれよという間に増えること増えること。文字通り、「縦横無尽」に広がります。
スコップと小型の鎌がひとつになったようなもので、土を掘り、根っこから引っ張り出さないとダメなのです。だんだんコツがわかってくると、ズルズルズルッと、30~40㎝近い、白っぽい長い根が出てきます。その根のところどころから、緑の細い芽がツーンと伸びているのですが、これが、先が尖っていて、うっかり触ったり、知らずにそこへ尻餅をついたりすると、ギャッとなるくらい痛い。しかも、その芽を引き抜こうとすると、外側の一皮とでもいうのか、先の方だけがキュッと抜けて、本体はしぶといのです。何としてでも命を残す、という、執念すら感じます。
浮世のストレスが溜まってきたら、時々この「チガヤの根っこ堀り」をするのですが、ズルズルズル、っと出てくるのがなかなか爽快で、やりだすと止まらなくなります。いかんいかん、これだけに時間をかけてはいられない、と思うのですが、ついついやってしまい、そのうちに、悲しいかな、腰がきつくなってきて、強制終了と相成ります。
またライチョウに会いに行きたい、と思いつつ、生き物の仕組みの巧妙さに、心底逞しい、あやかりたいと思うこの頃です。