「観察」ということ

看護学生の頃、こんな授業がありました。

2人の先生が、突然、「これから3分間、私達を観察して、気付いたことを書くように」と仰ったのです。頭のいいクラスメイトは、こういう学校の実技なのだから、と、きっと、先生の「ねらい」がすぐ分かったことでしょう。でも、ボーッとしていた私は、先生の服のデザインだの色だの、およそトンチンカンなことを書きました。

正解は、「咳をする時は手で口を覆った」とか、先生同士が話す時の表情の変化とか、そういう類のことに気づけ、という内容でした。言われてみれば、「なーんだ、そういうことか」と思えるのですが、当時、いかに「観察」の意味をはき違えていたかがわかるエピソードです。

いつだったか、ある俳優さんの記事を読みました。お子さんの頃に何度も腎臓を悪くしたが、病院に行っても、なかなか原因がわからない。でも、つぶさに彼を観察していたお母様だけは気づいた。扁桃腺を腫らした後に、必ず腎臓の状態が悪化することを。

これがヒントとなり、細菌やウイルスと、扁桃腺の抗体が結びつき、腎臓の糸球体という場所が詰まるための病気とわかり、原因を断つことで完治に至った、という話でした。

お母さんさすがです。どういう時に悪化するか、どうなると良くなるのか、その関連と変化を見逃さなかったわけです。「看護は観察から始まる」と、学生の時に散々言われました。本当にその通りです。

ついでに、東洋医学的な話をすると、首の前側、のどの所は、「腎経」というルート(ツボとツボを結ぶ、目に見えない電車の線路のようなイメージ)が通っているのです。

腎臓の場所とは全然離れているのに、昔の人は、のどと「腎」が関係深いことを知っていたのでしょう。当時の人々の観察力には驚嘆するばかりです。

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