「継ぐ」という字には、「米」と「糸」が入っています。「米」は「食」であり、「糸」は「織物」、広く考えれば、昔からのいろいろな技術でしょう。
以前、都内郊外に、大変美味しい蕗味噌を作る方がいらして、ある温泉施設の売店で買って以来惚れこみ、春になると送って頂いていました。3年ほど前も、お電話をしたら、「もうすぐ時期になるから、出たらすぐ作って送るから、待っとってね」と仰っていて、楽しみにしていました。
お年は召されているとのことでしたが、大変しっかりした方で、声の調子もお元気そのものでした。ところが、蕗の薹の時期を過ぎても、いつもの電話が来ません。どうされたかと心配になってこちらから連絡を入れましたが、とうとう繋がらずじまいでした。ご体調を崩されたのか?実際のところはわかりませんが、ストーンと穴に落とされたような気持ちになりました。
こうして、こんなに美味しいものを作れる技術のある方が、弱っていってしまうのか。その方の味は、ご家族か、ほかの誰かに受け継がれたのだろうか?繊細な日本の味が消えつつあることに、言い知れぬ恐ろしさを感じます。
今、こんどは「漬物問題」なることが起きています。設備投資を強いて、せっかくの代々の味を、ご高齢の方が作り続けるのを諦める方向へ持っていく。大人が大人を虐めているみたいな時代ですから、子供達の虐めがなくなるわけがない。EU諸国とか、昔のいいものがたくさん残っています。「お年寄りが守って来た味」を、大事に継いでゆかずしてどうするのか。
ここはもう、周りの人がやっていくしかありません。今はもう、家事に男も女もない時代です。食べることは生きること、代々の味を残すことは、命の智恵を繋ぐこと。男女関係なく、「我が家の定番」のようなものがあったら、レシピを残し、周囲に伝えていきたいものです。テーブルを囲むことは、人の輪を紡ぐこと。伝える人は、必ずしも家族でなくても、友人だっていいでしょう。美味しいものを食べて怒る人はいません。
自分にできることからやってみる。残り時間を意識しだして、こういうことを考えるようになってきた昨今です。